【 サ ン ク チ ュ ア リ 】



「森は、まるで教会ですね。この静けさの中で歌う事は、祈りに似ています。」


吟遊詩人はこう言って、感慨深げにあたりを見回した。

夏の喧しい鳴き声は幾重の葉に濾過されて、見えない静けさの雨になって降りそそいでいる。

ぼくはダナシャ(グラッサさまの友達の魔女、背が高くてすごく痩せている)の作った

お茶をすすって、詩人の次の言葉をじっと待っていた。


「実際この森を見つけた時は、音楽の精霊のほか特別の神々を持たない私でさえ、

人はみな巡礼の旅をしているのだと、そう思ったものです……。」


楢のテーブルを挟んだ向かい側で、ふくろうのジョバンニが威厳たっぷりに頷いた。


「いや、宜なるかな、至言ですな。

森はあなた方人間にとっても、また私達にとっても聖域、即ちサンクチュアリなのでしょうなあ。」


ジョバンニは難しい言葉をたくさん知っている。グラッサ様の本だって読めるんだよ。


「本当にそうです。木漏れ日はステンドグラス、夜の星座は無数の蝋燭ですね。」


二人はしきりに頷きあっているけど、ぼくには何の話かさっぱり分からない。

教会ってどんなところだろう。森にいないような面白い動物がいるかな? ステンドグラスって何だろう?

そういえば、いつだったか、きれいな絵がたくさんあるって聞いたことがある……


「今日はずいぶん静かですね、ノルさん。」

頬杖を付いていたぼくの顔を覗き込んで、吟遊詩人は微笑んだ。


「退屈ですか。それじゃあ、『サリとエンウィクの物語』はどうです?

まだノルさんには歌っていませんでしたね。いま弦を整えますから……」


傍らのハープを膝に乗せ、詩人が弦をひとつ弾くと、辺りがしんと静かになった。

小鳥たちも鳴くのをやめて耳を澄ましているのだろうか。


……夢みたいにきれいな歌が終わり、ぼくはしばらくぼうっとしていた。

どのくらいうっとりしていたかっていうと、ジョバンニが仲間達のもとへ帰っていった後に

やっと訊きたいことを思い出したくらいだった。


「ねえ詩人さん。サンクチュアリって、なに?」


説明するのは難しい、ジョバンニのほうがきっと上手く答えられるだろう、と

前置きをしてから、詩人はこう教えてくれた。


「……たとえば今日のような暑い日に、ウンディーネの泉の水を飲んだら、

ノルさんはどう感じますか。きっとこころがしずかになるでしょう?

『くたくたに疲れてもう歩けない、長老の樹の下で一休みしよう。』 そんなとき、

幸運に感謝しながら、大きな陰をつくる立派な枝や葉のことを考えませんか?

そして影を生み出す光のこともね。

そういった守られていると感じる特別な場所、神聖なところをサンクチュアリというんですよ。」


さいごの神聖という言葉以外は、ぼくにもよく分かった。

じゃあ女王さまのお傍や詩人の歌の聴こえるところはサンクチュアリなんだね、と言うと

吟遊詩人は笑って、ポロンと和音を爪弾いてお辞儀をした。




サンクチュアリ、特別な場所。そうだ。

ぼくは不意に思い出した。



あれから一週間はたっていない。虹に絵の具を分けてもらって、ちょっと泉に寄ってから

(ウンディーネたちのところにずっといるとネリがうるさいんだ)家に帰る途中、番人に会った。

なんだか妙にはしゃいで「いい所を見つけた」って言うから、ぼくも一緒に行ってみたんだ。



すこし開けた場所に、木が二本。あとはブルーベルがちらほら咲いているだけで、

特に目を引くものはなかった。どこかに珍しい花でもあるのかなと

ぼくがきょろきろしていると、番人はいつのまにか幹の間に挟まっていた。


「眺めが最高だろ。こうしてると風も見えるんだ。」


いつもより少し高い声は得意げで、宝物を自慢する子供みたいだった。


「夕焼けには、そこらの木はみんな透き通ったルビーの実をつける。 つばきの葉なら100カラットだ。」


木々の天辺がつくる緑の波を指でなぞりながら、番人は眩しそうに眼を細めた。

それから詩人みたいな事を言ったのが照れくさいのか、慌てて

「まあ、夕日が葉っぱの間を通るってだけのことだけど。」って付け足した。


まるででたらめな口笛を吹いたり、笛を望遠鏡がわりに覗いてみたり。

こんな何の変哲もない場所なのに、あんまり上機嫌な番人がおかしくて、

ぼくはちょっとからかいたくなってきたんだ。


「木が迷惑してるよ。重いってさ」


そうしたら、番人はとぼけた顔で振り返って、

「重いもんか。リス達なんか、僕を渡っていくお礼にって、プレゼントまでくれるんだぜ。ほら!」


いきなり何かをほうり投げた。番人は弓が大の得意だから、

狙いを定めた的――今回は運悪く、ぼくの腕――に命中しないわけがない。


「何だよ!急に。痛いじゃないか。 もし羽に当たったら……」


ぶつぶつ言いながら足元を探すと、ウサギの目みたいな赤がきらっと光った。

いっしゅん、番人が本物の宝石を投げたのかと思った。それは、ぼくの大好きなレッドカーランツだったんだ!


「やるよ。他にもラズベリーとか、ぐみの実も貰ったんだけどね。 ノルはきれいな色のが好きだろ。」


番人がポケットをひっくり返すとレッドカーランツがばらばらと落ちてきて、

ぼくの手じゃ持ちきれないほどだった!


グラッサさまの作るジャムもジュースも美味しいけど、

何よりこの実が分けてくれる赤い絵の具は特別なんだ。

番人はそれを知っていて、一番まぶしい色の実を残しておいてくれたんだろう。

今まで見たことがないほどきれいな赤に、ぼくは胸がいっぱいになった。

だけど、いきなり投げつけられた事にはまだ少し怒っていたから、

両手にレッドカーランツを山ほど抱えたまま、ありがとうも言わずに駆け出してしまったんだ。


今思えば、ジョバンニに言ったら礼儀を知らない妖精のすることだって叱られてしまうだろう。

だからぼくは、お礼のつもりでこの絵を描いたんだよ。


あの場所は番人のサンクチュアリだ、そう思ったから。