【 夏 の 永 遠 】




夏の森は、昼も夜も魔法にかかったみたいだ。


うんざりしながら額の汗を拭き拭きやってくる旅人たちも、

冷たいせせらぎに裸足を浸して、甘い風の吹き抜ける木立を歩けば

いつの間にか笑顔になっている。


そうして何故だか、みんな訳も無く空を見上げてしまうんだ。


ときどき気まぐれな夕立が通り過ぎては、ぼくらのほてった肌をしずめてくれる……



*  *  *



番人は、木陰に寝そべって、昼寝するには眩しすぎる日差しを遮ろうと手を上げた。

暑い暑いと言いながら、掌にかげった口元は隠し切れずに笑っている。

だからそんな仕草も、もくもくと湧き出す入道雲に手を振っているように見えた。


そよ風に押されて、番人の足元で何かが動く。

かまきりの抜け殻だ。


抜け出した体の代わりにオレンジ色の日差しをいっぱい詰め込んで、琥珀みたいに輝いていた。




吟遊詩人は、磨いたような夜空を見上げてハープを爪弾いていた。

アルペジオは雲の合間を少しの間漂って、それぞれの星座に還っていくかのようにすっと消えていく。

ぼくとネリはカシオペヤ座(ぼくらは喧嘩したあとにはこの星の力を借りるんだよ。

Wの形を二人で端からなぞって、真ん中でくっつけるんだ)を見上げながら、ちかっと瞬いた流れ星を指差した。


微笑みあうぼくらを、昼間よりも身近に感じる虫たちの歌が包んでいた。

そんな夏の夜に焚き火を囲めば、普段はよそよそしい魔女達も、親しげに踊りの輪に加わった……




たしかに森には魔法がかかっているんだ。


半年前にはやせ細って、寂しく雪のベールを纏っていたおばあさんは

今じゃ豪華な緑のドレスを着たおとぎの国の王女さまになった!

いつまでも若く、すこしも年をとらない『夏』という名前の――


グラッサ様のふしぎな呪文は、もしかしたら森の木々から教わったのかもしれないって

ぼくが思うのも不思議じゃないでしょう? 



太陽だって沈むのを惜しんで、いつまでもぼくらを照らしてくれる。

一日が長くて、南から風変わりな旅人がやってきてからの五日間は、それこそ一ヶ月にも感じられたんだ。



*   *   *



長老の樹の広場で見た『花火』は、たちまちぼくらを夢中にさせた。

煙を出しながらくるくる回るの、蝋燭のように大人しいの、ヒューと鋭い音を出しながら飛んでいくの。

陽気な旅人がリュックサックから次々と新しい花火を取り出す度に、

ミオ(賑やかなのが何より好きなんだ)なんか、もっと派手なのはないのかって大騒ぎ。

泉のほうから揚がった花火は空高くで弾けるたんぽぽみたいで、みんなで首が痛くなるまで見上げてた!



翌朝には帰ってしまう旅人たちを惜しんで、森はちょっとしたお祭りになっていた。

そんな中、ネリは、珍しく沈んだ顔の番人――怪我が元で、

可愛がっていた小鹿を亡くしたばかりだった――に駆け寄った。


「ね、顔を上げて見てみて。あんなにきれいなものって、ちょっとないわ。

一瞬で消えてしまうけど、きっとわたしずっと忘れない……

心のなかなら、この一瞬も永遠に変えることができるんだわ。」


ネリの眼は不思議な感動で熱くうるんでいた。

番人はまだ喉の奥に何かが詰まったような顔をしていたけど、ネリの小さな頭を撫でて少しだけ笑った。


飲みかけのビールを手に、みんなの所に行こうと番人が立ち上がったその時、


「そうよ。いつまでも落ち込んでたってしょうがないじゃない。

百年生きる動物なんていないんだから。ああ、世界のどこかにはいるかもしれないけど。知らないわよそんなの。」


ウィッカがふらふらと木陰から出てきた。

かなり酔っ払っているんだろう、魔女見習いの顔は髪に負けないほど真っ赤だった。


「シカだかヤギだか知らないけど、そんなに寂しかったら剥製にでもして飾っておいたら?……わあ、冗談だってば!」


番人がぎゅっと口をへの字にするより先にネリが飛び出した!

まあまあ、と、なだめるように両手を挙げて、ウィッカは急に声の調子を変えた。


「あたしはね、悲しいことがあると、うんと泣く事にしてるの。涙は流れ出したら引っ込まないし。

何かを失くすと、自分にぽっかり穴が空いたみたいになるのは知ってる。

胸の辺りが、大事なものの形そのまま、抜け落ちたみたいになる……」



ぼくはじっと聞いていた。

その時の魔女は、ぼくが今まで見た中で一番真剣な顔をしていたんだ。


(もしぼくが、大事なものを失ったら……)


ネリは、羽の形もそのまんまにぼくのこころを切り取って、がらんとした隙間を空けてしまうんだろうか?

番人の肩に引っ掛けた弓矢、詩人の手にしたハープ、グラッサさまの杖や

最近好きになってきた魔女見習いのとんがり帽子まで?


ぼくは怖くなって、暑いのにぞくぞく震えた。

失うってことがよく分からなかったんだ。

花は枯れても種を残すし、冬の森は春になれば必ず息を吹き返すじゃないか、それなのに……


(ウィッカはいったい何を失くしてしまったんだろう?)


はっと、おそろしい考えから抜け出してぼくが顔を上げると、ウィッカが口を開いた。


「……でも、その中にまた、いい想い出だけ詰め直すの。

それがどんなに大きな穴でも、隙間がちょうど埋まるだけの、楽しかった想い出や

一緒にいられた幸せを残していってくれてるはずよ。

埋まるまで時間がかかるなら、その間は精一杯悲しんだほうがいいってこと。

嘘じゃないわ、試せばわかるんだから――」



魔女の優しい声は、夜を渡る川のように静かに流れて、ぼくのこころを静めてくれたんだ。


(すきまがちょうど埋まるだけの…)


ウィッカの言葉を小さく繰り返しながら、ぼくは昼間見たかまきりの抜け殻を思い浮かべていた。


足のとげまでそっくりに空っぽのくせに、懐かしい何かがいっぱいに詰まった……



ぶっきらぼうな励まし方だったけど(ネリは剥製と聞いた途端に怒って戻ってきた)、

やけに素直な魔女の言葉は、どうやら番人に届いたみたいだった。

番人は視線を落として何か思い巡らせて、ちょっと迷った後、魔女に手を差し出してこう言った。



「踊ろうか、ウィッカ。」



吟遊詩人のハープに合わせ、旅の楽団が賑やかなリールを始めると

わっと大きな歓声が森中に響いた。 




その夜、陽気なおしゃべりと調子外れの歌はいつまでもいつまでも続いていた。



永遠の夏の魔法がとけてしまうのを恐れていたわけじゃないけど、

誰も眠ろうとはしなかったんだ。 




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