我は赤ちゃんである。というお決まりの出だしが、叛逆的な自己欺瞞どころか、完全なる嘘になってしまった。何故ならばもう僕は「乳児」ではなく歴とした「幼児」のカテゴリーに入るようになったので――。


 つまりは三歳の誕生日を迎えたという事です。いや、成長したね、僕も。


 子どもの成長の速さったら目を見張るスピードだから、見逃さないよう写真機……じゃなかった、使いこなせる大人は果たしているのかな?と疑問さえ抱くその高性能スマホでストレージがパンパンになるまで動画を収めておいても損はないよ。なにせ昨今のテクノロジーの如く日進月歩、絶え間なく進化し続けている三歳児である僕自身が言うのだから、この上なく説得力があるだろう?


 何だか言葉遣いが以前より甚だ幼稚になったような気がするな、いや気のせいではない。人というものは案外、老境に近付くほど子供のようになったりするのかもしれないね。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」なんて素晴らしい言葉もあるし……僕は種子どころか未だ蕾も持たないのに生意気なことで。

 でもそれこそが若者の特権でもあると胡座をかいた驕慢の、更にその上に足を組み頬杖をつき、これを書いている。


* * *


 そんな今の僕の興味を惹きつけてくれる物と言えば、滑り台、保育園で歌う楽曲の数々、喜怒哀楽の魔改造スイッチにより大人を惑わせる三歳児である僕に手を焼くパパが付けるしかないTVで流れ続ける数多の幼児向け番組(なかなかの博学の師が制作しているように見受けられる)……数え上げればキリが無いのだけど、ダントツのNo.1は「新幹線」だ。


 電車はね、ありきたりだけど「顔のついたアレ」から入ったのだろうか。その辺りは重要でないしあまり覚えていないのだけど、とにかく「新幹線」、あの圧倒的な速さに心惹かれぬ者は、それこそ愚鈍のさなか、泥濘に埋もれて無為に日々を過ごしているとしか思えない。

 僕はこの先鋭の一級芸術作品を片時も忘れることはないし、模型も出来得る限り手放したくない。食卓でさえ――。


 優れた機能を内部に秘めた強固さと同時に、尖りまくった技術を雪のヴェールで覆い隠しているような、そこはかとない花嫁の儚ささえ持ち合わせる滑らかな曲線、質感、造形美、をあらゆる角度から賞味する息子を「舐めるように見ている。もう変態の目つき」などと評するパパのユーモアを僕は嫌いでない。

 彼は大変に子煩悩な父親だろうね、男性の育児参加がやっと当たり前になった現代日本においても。それは断言できる。


 公園などを子供の目線で見渡しても分かってしまうものだ。仕方なく連れてきてた僕らではなく、スマートフォンやタブレットの方ばかりを眺めているのだからね……たまの休日にも何やら雑務に追われているのだろうけど、せっかくの美しく澄み切った秋空やはしゃぎ回る子どもたちの姿よりも、背を丸めてひっきりなしにそれらを覗き込む姿を見てあまりいい気はしないものだ。

 僕? 僕は滑り台の頂点から、そんな彼らのつむじを高みの見物だよ。薄くなってきたかどうかチェックをする程マナーが悪くも、暇でもないけど。

 

 そら、ご覧! 幼児たちの高らかな哄笑が太陽とともに降り注ぐ晴れた日は、常に祝祭と言えよう!

 下界にいる年老いた未来の僕らも、たまには電子機器から離れ、共に同じ歌を口ずさめば仕事も捗る事だろうに。


* * * 


 最近、週末などに遭遇するママについては――気恥ずかしいから僕の心境を詳しく述べることはできない。

 ただ一つ言えるのは、困ったことに、僕の口は彼女の作るお菓子を止めどなく食べ続けてしまう。辞めようと思っても、どうしても自制心を本能が上回ってしまうのだ。これは赤ちゃん時代からの名残なのだろうか? 理性の敗北。そんなものに打ちのめされるのには、少々早すぎやしないだろうか。

 どうでも良いけど、何をどれだけ食べてもレギンスのウエストが緩いのは年齢所以の代謝の良さ、或いは瘦せ型のお二人からの遺伝なのかな。


 今日も今日とて、食べやすいように何でも小さく割いてくれる、親切なパパである。

 そんな彼のお皿にも当然載っている、ママのマフィンを眼前の幼児専用容器に素早く移し替え、


「ぱぱは、もうたべた! たべたね!」


と言い放ち、結果、全量を奪ったうえ素知らぬ顔で頬張るくらいの狡猾さが、ついに僕の無意識のうちに芽生えていた。これは目出度い成長の証なのか、つとに知られた原罪の悪魔が汚れなき純白に鈍色の産声を上げた、と悲しむべきなのか?

 見事なまでに鮮やかな僕の手管、目の前の小さな知能犯に、呆気に取られたパパの顔。マフィンで笑いをかみ殺しているこの僕が、動画に収めて皆さんにお見せできないのが残念だ。

 世界に名立たる一流企業での仕事に加え家事育児、多忙の合間を縫いうっすらと伸びてきた髭面が気の毒な泥棒を思わせるが、盗人猛々しいのはこっちの方だよな。



 まあこんなお菓子のような甘い愚行が許されるのも、この可愛らしいベビーフェイスが通用する僅かな間だけ。

 さあ新米パパ殿、所構わずイヤイヤを連発し転げまわり泣き止まぬ僕に、雨霰と新しいおもちゃを捧げたまえ!刹那に床一面に転がるそれらを絶え間なく拾い集める絶望と愉快な徒労を、存分に味わい尽くすがいい。


 気づいているかい? それはね、実は僕より君たちの欲するところで――。


 親愛なるパパ&ママ、あなた方こそ僕ら幼児の楓のような手のひらの上で転がされているだけの、てんで無知で無邪気な孫悟空なんだよ。


 

 ~多分続く~