第一話

 我は赤ちゃんである。名前は勿論もうあるのだが、公開することは出来ない。個人情報にとかく煩い昨今ゆえ――厭な世の中になったものである。いや、我はこの世に誕生して五か月足らずであるというのに、分かったようなことを言ってしまいお恥ずかしい限りだ。始まったばかりの我が人生、長短如何ばかりか、何かを学び取れたらよいのだが。

 さて今まさに我と父母とが向かっているのは保育園である。0歳児であるがこの様な処に赴くのは、まあ大人の事情というものだ。そこのところは、我々当事者である赤ちゃんは我関せずでいないといけない。チャイルドシートのベルトの位置など何かにつけ言いたいことはあるのだが、どうやら言葉というものを発する適切な時期があるようだ。もどかしい事この上ないが暫し時を待とうと思う。

 H保育園、ふむ。階段を上ってゆくのは我が重くなっていくにつれ母のか細い腕では厳しいものがありそうだ。施設を見学させて貰うと左程大規模ではないが行き届いており、我々の世話をする端女――これは失礼、「保育士さん」達の顔ぶれも大変に好ましい。外見に惑わされてはいかんと言い聞かせつつも、我は男児であるからして美しい女性にはこの短い短い鼻の下も伸びようもの。父母も設備にも懇切丁寧な園長殿の説明にも満足げだ。これはこのご時世、季節外れに急遽ねじ込んで頂いたにも関わらず大当たりなのではないか。ここいらで父が判を押すとともに同意を込め「ほぎゃー」と赤ちゃんらしく泣いてみようかと試みたがオムツも濡れておらずミルクも飲んだばかりのこのタイミングでは憚られる、自重しておこう。

   * * *

 こうして我はH保育園に入園した。その準備たるや大変なものであった。大変だから保育園に入るのにその前に大変なのであるから父母ともどもてんてこ舞いである。全ての物に我の名が、ペンやシールで書き込まれていく様は圧巻であった。
 初めての登園日。些かも緊張などせぬ我であるが、流石にコロナ禍核家族で赤ちゃん仲間と遭遇する機会も皆無に等しい訳で、いくらか可笑しな気分ではあった。慣らし保育ということで僅かの時間であるが住み慣れたアパート以外のところで過ごすのだから……。

 見聞きしたところに依ると我は「ひよこ組」というところに所属するらしい。まさか時が経つと「にわとり組」その後は「焼き鳥組」「ケンタッキーフライドチキン組」になるのであろうか、はてさてまた「たまご組」へと舞い戻るのであろうか、鶏が先か卵が先か――などと我がうっかり口にしようものなら終わりである。赤ちゃんとはかようにままならぬ立場。我が今ニヤリと薄ら笑いを浮かべた理由は産みの母でさえ露知らずと思えば愉快痛快。15時か、そろそろ「ほほえみ(ミルク)」の時間かのう。

 ほう、興味深い報せが舞い込んだ。我は「ひよこ組」二人目の組織構成員であるらしい。先輩赤ちゃんが存在したのだ。これは父母や保育士達にとっては周知の事実だったようだが、我は先刻初めて知った。我と丁度ひと月違いの同じ日に産まれたという男児、奇遇にも一文字違いの名である。が、父母も驚嘆する通り、彼と我とは何もかも真逆である――。誰もが誉めそやす透けるような母譲りの色白の我と違い、中東の血を感じさせる深い肌の色、大きな、まるで成人かと見紛う凛々しい目鼻立ち、我は生を受けた時から産院を騒がせたほど体格には恵まれているが彼はなんと小顔で小柄で可愛らしいことか。そして何より、先月出家したほぼ坊主頭同然の我と同じ赤子とは到底信じ難い頭髪の豊かさ!

 この様に生後僅か半年の時点にして大変な差があるわけであるから、個性で片付けられぬ埋められぬ壁を感じざるを得ない。父母は初見の彼に馴れ馴れし気に声をかける、彼は大変に不愛想であるが我もそれは同様である。我らにはまだ社会性など微塵も育っていないのだ。この「ひよこ組」で我々赤ちゃんズはうまくやってゆけるだろうか――。
 我は我らしくない不安を覚え、左手で柔らかい産毛を撫でてみた。先月には不可能であった場所に手が届。未だ寝返りすらおぼつかぬ身ではあるが、着実に赤ちゃんとしての成長をしている我に、父母ならず我自身も歓びと確かな手ごたえとを感じている。
 

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