やることもないぼくは、つららに雪の女王の面影を見つけては
冷酷で美しいその横顔を何枚か描いてみたりした。
前ほど散歩をしなくなったと思ったら、番人は風邪を引いてとうとう寝込んでしまった……
* * *
「いつまで降るんだろう」
ため息混じりに言って、ぼくはごろりと寝返りを打った。
「止むまで……春までよ」
ネリもあくびをかみ殺して気の無い返事をするばかり。
締め切った窓をいくら眺めたって星も見えない。
まったく、退屈よりぼくらを困らせるものはないんだ!
「ネリ、春になったら何をしたい?」
「そうね。お日さまをうんと浴びたい。黄色や赤のチューリップの服もたくさん作るわ……」
唯一の話し相手が苔のふとんにもぐってしまうと、部屋に残されたのは底冷えと重い沈黙だけ。
しずかなネリの寝息と、番人が苦しそうに咳き込むのが時々聞こえてくる以外には、何の音もしない。
まるで、大きな獣が息を殺して、森を抱え込んでいるみたいだ――ぼくはベッドを抜け出して外へ出た。
空を見上げて、すぐにわかった。
森を抱きしめていたのは大きな白い鳥だった。
見えないほど高い巣からひらひらと降ってくる無数の羽。
冴え冴えと光る星の下で、ぼくは、静寂が形作られていくのを見ていた。
しばらくして、凍える寒さに歯がカチカチ鳴ってきたのが、やけに大きな音に感じた!
ぼくは急いで雪を踏んで、真新しい足跡を付けた。
(誰だって、真っ白なキャンバスには絵を描かずにはいられないよ)
そして、冷え切った夜気が入り込まないようにしっかり戸を閉めてベッドに滑り込んだ。
まだ暖かい。ぼくは縮こまった体をほどいてようやくほっと一息ついた。
さっきぼくが書いたまばらな暗号は、夜の間にすっかり覆い隠されてしまうだろう。
そうして誰にも読まれないままの一ページは静かに閉じられる。
月の裏側に隠された秘密を、夜だけが知っているように。
吟遊詩人は今ごろ、暖炉のそばに集まった子供達に、ぼくらの話でもしているかもしれない。
そんなことを思い浮かべながら、ぼくはようやく眠りについた。
* * *
「腰が痛い!もうやってらんない!」
魔女見習いが絶叫しながら放り投げたスコップは、ななめに地面に突き刺さった。
グラッサ様の庭で積もり積もった雪を相手に一時間も格闘していたけど、ついに限界がきたみたいだ。
(屋根の雪下ろしは番人がしたんだ。そのせいで風邪をひいたんじゃないかって、ぼくは思う)
「そりゃあ、ご老体のグラッサ様にこんな重労働はさせられないわよ。いくらあたしでもね。
でもさあ、こういう時に限って若返りの魔法を使わないのはどういうワケ?
だいたい大魔女って呼ばれるくらいなんだから、この雪なんか全部パッと片付けられるに決まってるのよ!
あのばーさん詐欺。ぜったい詐欺師」
フンと鼻を鳴らしてはみたものの、ウィッカはさっき投げたスコップを手にとって作業を再開する。
らんぼうな言葉を撒き散らしては雪と一緒にすくい上げる、の繰り返し。
こんな風に、魔女見習いのすることはいつもちぐはぐなんだ。
ただ見ているのも悪いからぼくも雪かきを手伝う事にしたけど、
ねこやなぎの帽子がスコップのかわりじゃなかなか進まない。
「……何この寒さ。それにこの泥で汚れるのがたまんないわ」
ぼくらの耳はどんなちいさな呟きも逃さない。
思わず笑ったら、ぎろっと睨まれてしまった。
「ちがうよ、冬の土の素敵なこげ茶いろを汚いと思うなんて面白いなと思っただけさ。
そんな顔しないで、ウィッカ! 雪どけ水が春の絵の具を溶かすんだよ」
魔女見習いは眉をもちあげて笑った。
「ふーん……これだけあれば、今年はずいぶん明るい色に染められるんじゃない?」
ぼくもウィッカの真似をして笑い返した。
「おや、そこにいるおちびさんは……ノルかい? いい所に来たね」
庭に通じるドアが開いて、水色の帽子がにゅっと突き出した。グラッサさまだ。
「ちょうど今、番人の薬が出来上がったところだよ。さあ持ってお行き」
ぼくが薬を取りやすいように、グラッサ様はわざわざ屈んでくれる。お礼を言って、すみれ色のビンに手をのばすと――
皺に取り囲まれた目が、ふくろうみたいに(ぼくは問答無用でジョバンニを思い出した)まん丸になった。
「まあ、なんて冷たい手だろうねえ!雪かきを手伝っていたって?手袋もなしで?
おやおや、すっかり体が冷え切っているじゃないかい。はやくお入り」
季節が入り口を間違えたみたいに、魔女の家の中はぽかぽかだった。
ここから雪かきに駆り出された人が文句を言うのは仕方がないかもしれない……
おいしいジンジャーティーをご馳走になって、すっかり体が温まった帰り際、ウィッカがぼくの背中に花を一輪挿した。
振り返らなくても匂いで分かる。スイセンだ――雪の庭で一番初めに顔を出した花。
「病人には栄養が必要でしょ? うーんと……食べ物とか、薬の他にもさ……」
ウィッカの言うとおりだった。
この黄色い花が薄暗い冬の部屋をどんなに眩しく照らすか、
どんなに番人をにっこりさせるか考えてもみてよ!
ぼくはいてもたってもいられなくて、背中に小さな太陽をしょったまま走り出した。
(今のぼく、詩人にそっくりだ! 早咲きのスイセンは、ぼくのハープだ!)
詩人がぼくに見せたいといった一枚の絵を思い描いてみて、
くたびれた服をきた村人たちの顔を、王様の肖像画のようにきらきら輝かせるのは
暖炉の炎だけだろうかと、ぼくは不思議に思った。
物語に一心に耳を傾けながら、
果ても無いような草原に沈む夕日や、
丘の上で英雄が誓いとともに掲げた剣の切っ先、
風をいっぱいにはらんだ白い帆を、
今まさに大海へと漕ぎ出す船を乗せていく波のきらめきを、
新緑に滴る透きとおった雨を、匂いたつ六月の花々を、
ふるえる弦の向こうに見ているんだ……きっとそうだ。
* * *
吟遊詩人は新緑が芽吹くころには帰ってくると約束してくれた。
雪が溶けたら、止まっていた物語がまた流れ出す。
だったら、あまり文句は言わないでメイセルたちが目覚めるのを待っていよう。
冷たい雪の下で春が育っていることも、皮肉っぽい笑顔の下に隠れた秘密も、
ぼくはもう知っているんだから。
『ネリ。春になったら、一緒にスノーフレークのベルを鳴らして歩こう。
寝坊してる動物たちに、のんびり屋のつぼみに、春が来たって知らせるんだ!』