【 春 の 歌 】
森が白いコートから緑のシャツに着替えるのにあわせて、
ぼくも冬の間じゅう被っていたねこやなぎの帽子を脱いだ。
今日からはいつものどんぐり帽子だ!
ちょっとくすぐったいような新しい気分で見渡した部屋には、まだつぼみのままの花がたくさん生けてある。
『今にも咲きそうな花のつぼみって、大好きな人からの手紙みたいじゃない?
読みたくて読みたくて、すぐに開けてしまいたいのに、なんだか勿体なくて
いつまでもそっとしておきたくなるの。ねえ!もう春なのよ!』
ネリが感激して言ってたっけ。
毎朝花たちが届けてくれる手紙をひとつひとつ読めば、みんな春の国から来たってわかる。
開け放した窓から流れてくる甘い香りに誘われて、
ぼくは、すっかり寂しくなったパレットに春の色を集めに出かけたんだ。
* * *
「ちっちゃな絵描きさん、いい天気だね!」
いちばんに陽気な挨拶を降らせたのはツバメ達だ。
うんと体を伸ばして、仲良く二羽、連れ立って飛んでいく。
「これから巣作りだね!おめでとう!」
ぼくも飛びながら言ったんだけど、お祝いの言葉までは聞こえたかどうか分からない。
この時期の動物たちっていったら――
冬眠からさめて穴から出たり喧しく鳴いたり巣を作ったり
結婚したり子供を産んだり新芽を食べたり故郷の寒い国に帰ったり、
とにかくいろいろ忙しい季節なんだ!
樹に這う蔦の若葉から、つやつやした黄緑色をもらっていると
どこからか笛の音が聞こえて来た。番人がよく鹿に吹いている歌だ。
角の落ちた牡鹿を元気付けているのかな。
それともお腹に赤ちゃんのいる雌鹿を励ましているのかもしれない。
冬の始め、平らな額に雪を乗せて歩いていた鹿たちを思い出して、ぼくはすこし懐かしい気分になった。
* * *
笛の音がだんだんと遠ざかるころ、ぼくは小さなすみれを見つけて立ち止まった。
とても小さな花だけど、たんぽぽ、菜の花、飛び交うミツバチとキアゲハ…
どこを見ても太陽に染まった野原では、むらさき色のすみれは特別に見えたんだ。
まるで、あの透きとおった冬の朝、雪に落ちていた影だけが溶け残ったみたいに。
「きみの色を分けてもらってもいい?」
そう尋ねると、控えめなすみれは、うつむいたまま頷いた。
せせらぎを飛び越えて、気前の良いレンゲからピンク色を山ほど分けてもらっていると、通りすがりのハチが採りたての花の蜜をくれた。
いつもお腹を空かしているメイセルへのお土産に、ほんの少しだけ味見して、残りを野いちごの葉っぱで包む。
(春はなんていろんなものをくれるんだろう!)
青空にうすく広がる雲を見上げれば、自分の体の重さも忘れて、
いつだってぼくらを地面に縛り付ける影の鎖からも解き放たれて、ヒバリみたいに高く高く飛べるような気がするんだ。
* * *
帰り道、チューリップとパンジーに挨拶しようとグラッサ様の庭に立ち寄ると、
ダナシャとウィッカも一緒に苗や種いもの植え付けに大忙しだった。
三人のとんがり帽子が樹の間からぴょこぴょこ出たり引っ込んだり……
ぼくは可笑しくて、バラの茂みに隠れて、グラッサ様の声を真似してこう言った。
『おやおや、そこにいるのは気まぐれな木の芽かい?
出たと思えばまた隠れ、熊に食べられるのが怖いのかい?』
「如何な森の王といえども、手垂りの魔女なる我等を食む大熊ありや!」
一番長い帽子のダナシャが枯れ葉みたいにガサガサ笑った。
庭の奥には痩せた魔女そっくりの柳の樹があるんだけど、ぼくはその新芽に
すっかり見とれていて、意地悪なウィッカが投げたジャガイモを避けることができなかった……。
(雪合戦で負けたのを、まだ根にもってるんだな)
ぼくは靴を脱いで魔女見習いに投げ返してやった。
雪かきをしていたときよりずっと土が柔らかくて、裸足でちょうど良かったんだ。
ぼくの小さい靴はウィッカに当たって(もちろん痛くも痒くもない)畑の中に落ちてしまった。
「おやおや、いたずらっ子たちは本当にしょうがないね。このまま土を被せたら、どんな花が咲くのか見せてあげよう」
グラッサ様が杖を振る、と、ぼくの靴からするする芽が伸び、葉っぱが生えていく。
いつの間にか出来たてっぺんのつぼみをダナシャが杖の先で叩くと、それはポンと弾けてニヤニヤ笑うウィッカの顔になった!
ぼくたちが驚いて叫ぶと、魔女見習いはべろりと赤い舌を出す。
本物としか思えない舌は、伸びる伸びる、あっという間にヤマドリの尾の長さも超えて――
あれ?その上に、何かが乗っている――僕の靴だ。
と、偽のウィッカはたちまち煙になって消えてしまった。
あっけにとられるぼくたちを尻目に『手垂りの魔女』二人は大笑いしている。
これじゃ、どっちがいたずらっ子なんだか分からないよ!
「なんだ、賑やかだと思ったらノルがいるのか」
裏庭から畑に通じるドアがキイと開いて、番人がひょいと顔を出した。
ウィッカは慌てて、睡蓮を池に植えて泥まみれになった手を、
畑の土を掘って爪の中まで茶色くなった手を、さっと後ろ手に隠した。
「こんにちは、グラッサさま。これ、この前言ってたハーブです」
番人は、森で摘んできた珍しいハーブをグラッサ様に差し出した。
「あらあら、こんなに。ちょうど今朝使い切ってしまったところでね。助かるよ」
「かぜ薬のお礼です。それより何か手伝いましょうか。植木鉢とか堆肥とか、運びますよ」
番人の無愛想な親切と聞きなれない敬語がおかしくて、ぼくはウィッカの後ろでにやにや笑っていた。
「もう終わるところだから構わないよ。そろそろスコーンが焼きあがるころだから、中で一緒にお茶でもどうかね?」
「いや、今日はもう帰ります。向こうに旅人を待たせてるんで、これから案内しないといけないんです」
お茶会の誘いをあっさり断って裏庭に出たところで、
番人はふと大魔女の弟子に目を留めて、何か思い出したように口を開けた。
「あ、あの花――スイセン!あれ、ありがとうなぁ!きれいだった!」
遠くから大きく手を振る番人に、何も知らない老魔女たちは揃ってふしぎそうな顔をしている。
「あんたでしょ、あたしからだって言ったの……!」
番人が見えなくなった途端、ウィッカはハチドリの羽にも負けない速さで振り返って、ぼくの頭を思いっきり小突いた。
「このお喋り。今度こそネズミにしてやるから。小汚いドブネズミに」
顔を真っ赤にして脅したと思えば、それからの魔女見習いは気持ちが悪いほどご機嫌だった。
時々スイートピーのやわらかい花びらを撫でたりして、にこにこしているばかりなんだ。
まるで「きれいだ」って言われたのはスイセンじゃなくて、自分みたいに!
ぼくはいつネズミになれるのか楽しみでしばらくウィッカのそばにいたのに、がっかりしてしまった。